「………」


誰もいない道場の真ん中を陣取って、すこしささくれた竹刀を弄ぶ。振りかぶってみたり、軽く空中に放り投げたり。遠くで野球ぶの張り上げた声がきこえる。反して私しかいない道場棟には静寂だけがただひたすらに鎮座してつづけていた。

ため息をついたあと、スカートが捲れあがるのも気に留めず足を投げ出して寝転がる。どうせ今日は部活が休みなので誰もきやしない。竹刀を抱え込んで、それなりに年季のはいった天井を見つめた。いつだったか、稽古中に先輩から弾きとばされた私の竹刀がつけた疵が目にはいった。そんなに目立つものではなかったけれど、今の私にはどんなに些細なものでも隅々まで見通すことができた。なぜなら、目を配すことしかやることがなかったから。何度目かわからないため息をついて、天井から視線をそらす。そのまま横向きに寝転がって窓の外を見た。外は雨が降っていて、今ごろ家で黙っているであろう自分の傘を思い浮かべて顔をゆがめた。今日は雨に濡れることは免れられないらしい。憂鬱になりながら目をつむって、このままここで寝てしまおうか、なんてことを考えていたら、道場に誰だか足を踏み入れた人物に気が付くことができなかった。


。」


当然驚いた私は文字通りはねるようにとび起きた。「…見えてるぞ」言われて何がとは問わず、こちらに向けられた視線がスカートの中を捉えていることに気が付いて急いで体勢を直した。道場の入り口に立つ人物に、何故ここにいるのかという疑問を感じたが 私が考えたところでわかるはずがないのでその思考はすぐに打ち切られた。「なにしてんの?」「…先輩、こそ」今日、部活休みですよね、と ゆっくりこちらに歩み寄ってくる先輩を見上げながら、やはり気になってしまう先輩がここにいる理由を無駄に考えてしまう。


「お前なあ…先輩が聞いてんだから素直に答えなさい。」
「…生憎、素直なんてものはお母さんのお腹のなかに忘れてきちゃったんです。」


目の前まできた先輩をめいっぱい首をまげて見上げる。我ながらなんて素直じゃない後輩なんだろうか。口にしたあとで自分の言動を悔やむ、私の悪い癖。傍らにある竹刀を拾い上げて腰を上げた。軽く伸びをして、それでも私よりも大分大きい先輩と目をあわせる。「で?」先輩が私の持っている竹刀に手をのばし、柄の先を握ったところで少し引っ張られた。もちろん、私だって常日頃鍛えているわけだからそれくらいじゃあビクともしない。「…なにがですか」「何してたのかな、と」つくづく思う。私はこの人が、苦手だ。この顔を見るとむしょうに苛々するし、この声をきくと耳鳴りがするし、かといっていないならいないで部活はつまらない。どうしろというのだ。「……何をしていたわけでもない、です…けど、」捕らえられた柄を無理矢理引っこ抜くように竹刀を引いた。思いのほか簡単に戻ってきたそれを左手で持って、一歩、下がる。窓の外に、目をやった。


「……傘が、ないので…今日はここに泊まろうかと思ってたところ、です。」


歯切れ悪く言い終えて、ため息をつく。「…ふうん?」いまいち納得いかない、というような表情で眉を寄せた先輩に背を向けて部室へと歩く。地面をうつ雨の音が、道場によく響いた。本当に、今日はここに泊まってしまおうか。部室の扉を開けて中へはいり、竹刀をしまう。ふ と時計を見ると、思っていた時刻を大幅にこえた数字を示していた。

道場にもどると、そこに先輩の姿はなかった。少し寂しい気がした私は頭を振って顔をゆがめる。寂しい、なんて。鞄をつかんで道場の入り口まで歩く。いつもは気にしない床の軋む音が、今日はやけに煩く感じた。早足に道場を出て施錠をすませてから、靴を履き替えたところで目を見開いた。



「…先輩?」


道場棟の3段くらいしかない小さな階段に腰掛ける背中には見覚えがある。十分に聞こえる声だったはずなのに、先輩は振り向こうとしない。少しむっとなって先輩の真後ろまで歩み寄れば、先輩は俯いたまま肩を震わせて笑っているらしかった。「……なに、笑ってるんですか」くつくつと喉だけで笑う姿に胸が高鳴ったのを無視して眉間に皺を寄せる。「…怒りますよ先輩」「っくく、…ッお前、今日はココ泊まんじゃなかったの?」未だ笑い続ける先輩に一層皺を深くさせて「思ってみただけです」と吐き捨てて雨のなかへ足を踏み入れた。冷たい。あんな卑屈をいうためだけにきたのだろうか。そうだったら最低だ。一刻もはやくここから離れようと、足に力をこめたとき、先ほどとは違って何ももっていない左手を後ろからつかまれた。


「なあ、
「…なんですか?私はやく帰りたいんですけど」
「お前可愛いよ。」
「……は?」


突拍子もない言葉に思わず振り返る。そこにはいつもと同じ笑顔でこちらを見下ろす先輩と、その頭上にある紺色の傘。「お前、ものすごく可愛い」「な…ッにを言ってるんですか、あんたは…!」嬉しいだとか、恥ずかしいだとかいう感情が最初に浮かんできた自分に吐き気がした。からかうような口調で言う先輩の腕を振り解こうともがいてみても、少しも変化はない。先のようにくつくつと喉で笑う先輩を見上げて口を噤んだ。「ほら、そういうとこが。」離された腕が力なく滑り落ちた。「……なんなわけ、ほんと…」視線を斜め下にやって、前髪で顔を隠した。今の私は、多分、矛盾した表情をしている、から。



「優しい先輩が傘にいれてやるから、帰るぞ。」
「……い、…………イヤです」


思わず出た言葉に悔いる。ああ、こんなときに私の悪い癖。「はいはい。いいから帰るって言ったら帰るんだよっ」でも先輩はそんなのお構いなしに私の手をひいて歩き出した。「あ、の…ッ」どうしたらいいかわからず、掴まれた腕を気にしながら先輩の顔をうかがった。てっきりいつもの笑みを浮かべているのだと思っていたのに、いつもより赤い頬と拗ねたような、恥ずかしそうな表情をした先輩に、なんだかこちらまで恥ずかしくなってしまった。




 

茨姫に愛を

 

 

(090531 でたよ、無駄に剣道部設定…!)

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